2020年11月27日、公正取引委員会は、「スタートアップの取引慣行に関する実態調査報告書」において、 スタートアップと連携事業者との間の契約並びに出資者との出資契約に係る問題事例等を公表し、これに基づいて、2021年3月29日、経済産業省と共同で「スタートアップとの事業連携に関する指針」を公表しました。その後、スタートアップへの出資契約の適正化部分を追加するために、同年12月より新指針についての意見募集を行い、若干の修正を経て、2022年3月31日、「スタートアップとの事業連携及びスタートアップへの出資に関する指針」(以下「本指針」という。)を策定・公表しました。
今回追加された出資契約部分は、今後のスタートアップの資金調達、VC/CVC投資の契約実務(投資契約、株主間契約、財産分配契約)に影響を与える可能性があります。
そこで本稿では、本指針のうち、上記追加部分を中心に、その概要(問題の所在と解決の方向性)を紹介します。
1. 営業秘密の開示
(1) 問題の所在
スタートアップが、 出資者から、 NDAを締結しないまま営業秘密の開示を要請される場合があります。
正当な理由がないのに、スタートアップに対し、 NDAを締結しないまま営業秘密の無償開示等を要請する場合であって、 当該スタートアップが今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、出資者による優越的地位の濫用(独占禁止法第2条第9項第5号)のおそれがあります。
(2) 解決の方向性
- 出資者との交渉に入る際にNDAを締結することが重要です。
- NDAにおいて、 秘密情報の想定外の利用を防ぐために、できるだけ具体的にその使用目的を定めることが望ましいです。
- 目的外使用した場合においても、秘密保持義務違反を立証することは難しいケースが多いことから、自社のコアコンピタンスが揺らぐような情報は、開示しないことが重要です。
- 秘密情報の範囲設定をするに当たっては、秘匿する必要がある情報の管理コストも考慮して、秘密情報の範囲を設定することが重要です。
- 秘密情報の開示者は不特定多数に情報が広がることを防ぐために開示対象を定義する必要があります。情報受領者の企業規模が大きいほど、情報の流出リスクが高まるため、受領者が目的遂行のために必要な範囲でのみ関係者に共有するよう定めることが重要です。
2. NDA違反
(1) 問題の所在
出資者が、NDAに違反して事業上のアイデア等の営業秘密を他の出資先に漏洩し、当該他の出資先が、スタートアップの商品・役務と競合する商品・役務を販売する場合があります。
出資者によるかかる取引によって、スタートアップとその取引先との取引が妨害される場合、 競争者に対する取引妨害(一般指定第14項)として問題となるおそれがあります。
(2) 解決の方向
- スタートアップは、 ①守りたい情報がNDAにおける秘密情報に確実に含まれるようにすること、 ②スタートアップがNDA締結前から当該情報を保有していたことを立証できる状態にしておくことが望ましいです。確実に守りたい情報については、 NDAの別紙に具体的に特定することが考えられます。
- スタートアップとしては、契約に違反した場合の損害賠償を定めることは重要です。秘密漏洩により損害が生じたことの立証は難しいため、 漏洩に対する抑止効果を高める目的で、 損害賠償責任の範囲・金額・請求期間についてあらかじめ定めることも考えられます。
- 開示等する情報の重要度に応じて、金額を高めることで情報漏洩の抑止力を高めるような金額とすることも考えられます。
3. 無償作業
(1) 問題の所在
スタートアップが、 出資者から、 契約において定められていない無償での作業を要請される場合があります。正当な理由がなく、無償でのスタートアップの作業が行われる場合には、 出資者が本来負担すべき費用がスタートアップに転嫁されることとなります。
スタートアップが、今後の取引に与える影響等を懸念して無償作業を受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
スタートアップと出資者が口約束や契約外の作業を行うことで生じるリスクを避けるために、出資の契約交渉において、双方がスタートアップの経営状態に応じて発生する作業等の調整をすべきです。例えばPoC(事業連携によって想定した機能・性能や顧客価値の実現を検証し、共同研究開発に進むことができるかを判断するためのステップ)では、 PoCのゴール、対価設定、出資への移行条件について共通認識を持つコミュニケーションを図ることが重要です。
4. 出資者が第三者に委託した業務の費用負担
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者から、出資者が第三者に委託して実施した業務に係る費用の全ての負担を要請される場合があります。
出資者がスタートアップに対し、一方的に係る費用の全ての負担を要請する場合であって、 スタートアップが、今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
- スタートアップと出資者双方が、出資の審査に係る調査の内容等を調整、 協議した上で、費用負担についての共通認識を持つことが重要です。
- 出資検討の調査以外でも、安易に第三者に委託した業務の費用負担が生ずることのないようスタートアップ側と出資者の対等な立場での対話が求められます。
5. 不要な商品・役務の購入
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者から、他の出資先を含む出資者が指定する事業者からの不要な商品・役務の購入を要請される場合があります。
スタートアップにとって、それが事業遂行上必要としない商品・役務であり、 又はその購入を希望していないときであったとしても、今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
- スタートアップが、出資者の紹介等で商品・役務を購入する際には、それがスタートアップの業務に必要なものか、費用負担をどうするかについて調整し、共通認識を持つことが重要です。
- スタートアップ側の不要な費用負担が生ずることのないようスタートアップ側と出資者の対等な立場での対話が求められます。
6. 株式の買取請求権
ア 買取請求権を背景とした不利益な要請
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者から、知的財産権の無償譲渡等のような不利益な要請を受け、その要請に応じないときには株式の買取請求権を行使すると示唆される場合があります。
出資契約において知的財産権が出資者に帰属することとなっており、正当な理由がないのに、出資者が、スタートアップに対し、 かかる要請を行う場合であって、 スタートアップが今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
- 出資者は買取請求権を濫用してはなりません。
- 買取請求権の規定については、出資者とスタートアップ側が十分な協議の上、 その行使条件については重大な表明保証違反や重大な契約違反に明確に限定すべきです。
- また、行使を示唆しての不当な圧力を阻止するべきです。
- 買取請求権の行使が正当と認められる重大な表明保証違反、重大な契約違反としては、以下のような内容が例として挙げられます。
[表明保証違反]
- 知的財産権など企業の競争優位性に関する事項の虚偽表明
- 粉飾決算(多額の架空売上の計上、債務の隠蔽等)
- 反社会的勢力との関係が明らかとなった場合
[重大な契約違反]
- 投資資金の資金使途以外での使用(目的以外の事業への流用、 他社への投融資、創業株主らによる私的利用等)
- 事前承認事項への違反(大量の新株発行や重要な事業の譲渡等株式の価値に重大な影響を与える事項)
- 重大な法令違反が生じた場合
イ 著しく高額な価額での買取請求が可能な買取請求権の設定
(1) 問題の所在
スタートアップの事業資金が枯渇しつつある状況において、スタートアップが、出資者から、出資額よりも著しく高額な価額での買取請求が可能な株式の買取請求権の設定を要請される場合があります。
出資者が、スタートアップに対し、一方的に、 かかる要請する場合であって、当該スタートアップが、今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
6.ア(2)と同じ。
ウ 行使条件を満たさない買取請求権の行使
(1) 問題の所在
株式の買取請求権の行使条件が満たされていなかったにもかかわらず、スタートアップが、出資者から、保有株式の一部について買取請求権を行使される場合があります。
出資者が、正当な理由がないのに、スタートアップに対し、 保有株式の一部の買取りを請求する場合であって、 当該スタートアップが、今後の取引に与える影響等を懸念してそれを受け入れざるを得ない場合には、優越的地位の濫用のおそれがあります。
(2) 解決の方向
6.ア(2)と同じ。
エ 個人への買取請求が可能な買取請求権
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者から、スタートアップの経営株主等の個人に対する買取請求が可能な株式の買取請求権の設定を要請される場合があります。
経営株主等の個人に対する買取請求が可能な株式の買取請求権については、スタートアップの起業後に経営株主となることが多い創業者にとって、 出資者からの出資を受けて起業しようとするインセンティブを阻害することとなります。
(2) 解決の方向
契約違反時の買取請求権は発行会社のみに限定し、経営株主等の個人を除いていくことが望ましいとされました。
7. 研究開発活動の制限
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者により、新たな商品等の研究開発活動を禁止される場合があります。
出資者がスタートアップの自由な研究開発活動を制限する行為は、一般に研究開発をめぐる競争ヘの影響を通じて将来の技術市場又は商品等市場における競争を減殺するおそれがあります。したがって、このような行為は、 拘束条件付取引(一般指定第12項)のおそれが強いとされます。
(2) 解決の方向
多様な成長可能性を有するスタートアップにとって、研究開発活動の制限は事業拡大の障害になる可能性が高く、基本的に望ましくないとされました。
8. 取引先の制限
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者により、他の事業者との連携その他の取引を制限される場合や、 他の出資者からの出資を制限される場合があります。
市場における有力な事業者である出資者が、スタートアップに対し、 例えば、 合理的な範囲を超えて他の事業者との取引を禁止することは、 それによって市場閉鎖効果が生じるおそれがある場合、 排他条件付取引(一般指定第11項)又は拘束条件付取引のおそれがあります。
(2) 解決の方向
ア 多様な成長可能性を有するスタートアップにとって、取引先の制限は事業拡大の障害になる可能性が高いといえます。
イ しかし、例えば、出資後の共同事業が予定される場合において、スタートアップに共同事業の成果物の知的財産権を単独で帰属させる一方で、出資者が競合他社との関係で競争優位性を保てるように、 スタートアップに対し、出資者の競合他社との取引を制限することは一定の合理性を有する場合もあると考えられます。
9. 最恵待遇条件
(1) 問題の所在
スタートアップが、出資者により、最恵待遇条件(出資者の取引条件を他の出資者の取引条件と同等以上に有利にする条件)を設定される場合があります。
かかる最恵待遇条件を設定することは、 直ちに独占禁止法上問題となるものではありません。
しかし、 市場における有力な事業者である出資者が、スタートアップに対し、最恵待遇条件を設定することは、 それによって、 例えば、 出資者の競争者がより有利な条件でスタートアップと取引することが困難となり、 当該競争者の取引へのインセンティブが減少し、 出資者と当該競争者との競争が阻害され、市場閉鎖効果が生じるおそれがある場合には、 拘束条件付取引のおそれがあります。
(2) 解決の方向
- 契約に最恵待遇条件を入れることにより、その後の他の出資者に対して有利な条件が設定されたときには、その有利な条件がそのまま契約先の出資者に適用されることとなります。そのため、受け入れる際には慎重に契約先の出資者との将来の関係を検討した上で決定するべきとされました。
- あらかじめ交渉の場において取引条件を明確にするとともに、対価に関する十分な協議を行うことが重要とされました。
10. まとめ
上記の指針を受けて、スタートアップと出資者との間の既存又は新規の投資契約、株主間契約、財産分配契約の各条項の交渉がどう影響を受けていくか、今後の動きに、注目していく必要があります。
※なお、本稿の内容は、一般的な情報提供であり、具体的な法的アドバイスではありません。お問い合わせがございましたら、執筆者にご連絡くださいますよう、お願い致します。